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COMMUNITY

わたしにとって、SISIFILLEとは?——愛用者13人の声とストーリー  前編

ブランド誕生から10年。SISIFILLEが届けてきたのは、ただのオーガニックコットンではなく、「わたし」と向き合うための小さなきっかけだったのかもしれません。本企画では、SISIFILLEを愛用してくださっている方々に、ブランドとの出会い、愛用の理由、そしてこの10年の自分自身について語っていただきました。日々を重ねるなかで見えてきた、優しさと変化、そして未来への想いを、静かに紡ぎます。前編、6名の物語です。 フェムケアアドバイザー 阿部真里子さん 神主 / 植物療法士 / ライター 船田睦子さん マアル代表 櫻木直美さん イラストレーター 小塩悠さん EMILYWEEK販売員 白井さん フリーランスPR 柿沼あき子さん     @abemari__ Q1. SISIFILLEに出会ったきっかけは? 2023年頃、フェムケア専門ショップでピリオドパッド(生理用ナプキン)に出会いました。オーガニックコットンという安心して使える素材、なめらかで、肌触りがよくしかも漏れない! こんな生理用ナプキンは他にはないと、一瞬でトリコになりました。 Q2. SISIFILLEの好きなアイテムは? ピリオドパッド、アンダーウェア、ショーツ、マスクなどを愛用しています。どのアイテムもとにかく肌触りがよくて大好きです。 Q3. 今のあなたから10年前の自分へかけてあげたい言葉は? ぴちぴち20代だ!超仕事頑張ってるね!えらい! 自分に優しくすると、周りの人にも優しくなれるよ。 Q4. 10年後の自分はどうなっていたい? 人生は想像通りにはいかないけれど、それを面白がりながら、周りの人たちに感謝とリスペクトを持ってご機嫌で生きていたらいいなぁ。 PERIOD PADS 23.5cm/Wings ¥825...

めぐる素材、めぐるやわらかさ ーSISIFILLE × OverLab 生理用ナプキンポーチ「Cycle with me」ができるまでー 後編

10周年を迎えたSISIFILLEが、この秋に出会ったのは、韓国のアップサイクルブランド「OverLab(オーバーラボ)」。廃棄されてしまう素材に新しい命を吹き込む彼らとともに、生理用ナプキンを入れるための特別なポーチをつくりました。パラグライダーの生地を使って作ったポーチに刻まれた言葉は「Cycle with me」──めぐりゆく日々を、ともにやさしく循環していこうという想いを込めて。“やわらかさ”と“循環”という共通の価値観から生まれた、このコラボレーションの背景を、OverLab代表のパク・ジョンシルさんと、SISIFILLEのマミ・ナツキが語りました。 対談前編はこちら       コラボポーチのご購入はこちら   ―存在感を消すようにされがちな生理用ナプキン。その「居場所のなさ」を解消するために、今回どうしても“外付け”するポーチにしたかったんです(マミ) (写真左上から時計回り、OverLabパクさん、SISIFILLEマミ、SISIFILLEナツキ) (写真:4種類のバイカラー。アップサイクルの素材のため、生地の縫い目の位置や色に若干の個体差がある) マミ:今回、生理用ナプキンのポーチを一緒に作ったわけですが、すごくいいものができましたよね!一見ハンカチに見えるようなタオル生地のポーチに入れたり、なるべく目立たないよう、バッグの中で存在感を消すようにされがちな生理用ナプキンですが、その「居場所のなさ」を解消するために、今回どうしても“外付け”するポーチにしたかったんですよね。 ナツキ:すごくかわいいものができましたね!ナプキンのポーチはトイレでの出番が多いので、水に強いのも嬉しい。ジョンシルさんは、このポーチを作る上で、難しかったところはありましたか? ジョンシル:言葉の壁や距離はあったけど、ものづくりは難なく、スムースにできました。もし挙げるとすれば、色の使い方ですね。OverLabではこれまで、ひとつのアイテムに一色しか使ったことがなかったんです。今回のコラボで初めて、カラーの組み合わせを考えました。二色以上使うことで生理用ナプキンを入れるポーチに見えなくて、外に見せて使ってもかわいいし、SISIFILLEさんとOverLabのシナジーが作り出した、すごくいいものになったと思います。 ナツキ:今回のコラボで初めて二色使われたんですね!パーツを切り出す位置によって、縫い目の位置や、色にも少しずつ差があって、一点ものなのも、アップサイクルな素材ならではの楽しみ。これまでのSISIFILLEのアイテムではなかったことなので、私たちにとっても新鮮でした。 ―このポーチがきっかけになって、誰もが気軽に生理を語り合える未来につながって欲しい(ナツキ) ナツキ:生理用のナプキンを入れるポーチとして今回作りましたが、韓国の生理事情についても気になります。日本では生理用のナプキンがよく使われるアイテムなのですが、韓国ではどうでしょうか? ジョンシル:韓国も生理用ナプキンが一般的で、オーガニックコットンなどの自然素材を使ったものがかなり多いです。タンポンをレジャーの時だけでなく普段から使う人も多いと思います。ただ最近は、環境や自分の体のために、使い捨ての生理ナプキンではなくて、布ナプキンなどの何回でも洗って使える生理用品を使うことが、広まってきています。 マミ:日本では自然素材のナプキンはまだ種類も少ないですが、その点はすごく先を行っているのですね!日本では、男性が生理のことを話したり、パートナー同士で生理について話したりすることってまだまだ少ないと思うのですが、韓国ではいかがですか? ジョンシル:韓国も日本と似ていて、恥ずかしいと感じることもあってか、男性同士や男女のパートナー同士でも、そういう話はしないと思います。ただ最近は、「生理のことを話そう」とか、「もっと生理をオープンにしよう」といったキャンペーンが打たれたり、考え方を変えていこうとする動きがあります。以前は、男性がお店で生理用品を買うのは恥ずかしいことだったけど、最近ではドラマでもそういうシーンがあったり、少しずつ変わってきているように感じます。 ナツキ:「男性にも持ってもらえるようなものにしたい」と、こだわって今のデザインになりました。生理用品は本来、コソコソ隠すものではないと思うんです。台湾では、男性が生理用品を持ち歩き、必要なときにパートナーへ手渡す文化があると聞いたことがあります。性別や立場を問わず生理をサポートし合う優しい空気が広がる可能性を感じました。このポーチがきっかけになって、誰もが気軽に生理を語り合える未来につながって欲しいですね。   ―「アップサイクル」と「生理」の“cycle”、二つのやさしい循環が交わって生まれたアイテムだと思っています(マミ) マミ:今回のポーチには「Once flew in the sky, now...

めぐる素材、めぐるやわらかさ ーSISIFILLE × OverLab 生理用ナプキンポーチ「Cycle with me」ができるまでー 前編

10周年を迎えたSISIFILLEが、この秋に出会ったのは、韓国のアップサイクルブランド「OverLab(オーバーラボ)」。廃棄されてしまう素材に新しい命を吹き込む彼らとともに、生理用ナプキンを入れるための特別なポーチをつくりました。パラグライダーの生地を使って作ったポーチに刻まれた言葉は「Cycle with me」──めぐりゆく日々を、ともにやさしく循環していこうという想いを込めて。“やわらかさ”と“循環”という共通の価値観から生まれた、このコラボレーションの背景を、OverLab代表のパク・ジョンシルさんと、SISIFILLEのマミ・ナツキが語りました。     コラボポーチのご購入はこちら   ―「この先、超える」という意味の「Over」と、「新しいものが生まれる場所」の「Lab」という言葉を組み合わせて、「OverLab」と名付けました(ジョンシル) (写真左上から時計回り、OverLabパクさん、SISIFILLEマミ、SISIFILLEナツキ) ナツキ:今回、SISIFILLEの10周年記念にあたってのコラボレーションでご一緒させていただき、ありがとうございます! ジョンシル:韓国のアップサイクルブランド、OverLabのディレクターパク ジョンシルです。寿命を迎えたレジャースポーツ用の装備を使って、サコッシュや財布、バッグなどのアイテムを作っています。よろしくお願いいたします。 ナツキ:SISIFILLEを使ってくださっている方々の中には、OverLabさんを知らない方もいらっしゃると思うので、どんなブランドなのかをみなさんに知ってもらうためにお話を伺えればと思います。まずは、ブランド立ち上げのきっかけを伺ってもよろしいですか? ジョンシル:以前はファッションブランドで服を作る仕事をしていました。ころころ変わるトレンドに合わせて服を作ったり、余った素材は捨てたり、「環境に良くないことしているんじゃないか」と疑問を感じることがあって。その頃、偶然パラグライダーを販売する機会があったんです。パラグライダーは、まだまだ使えるものでも万が一に備えた安全上の理由から、短期間での使用ですぐに捨てられてしまっていることを知りました。“大量生産・大量消費”というファッション業界の問題をどうにか解決できないかと考えていたところだったので、捨てられてしまうパラグライダーの素材を使ってアイテムを作ることで、アップサイクルするものづくりができないかと、思いついたんです。「この先、超える」という意味の「Over」と、「新しいものが生まれる場所」である「Laboratory」の「Lab」という言葉を組み合わせて、「OverLab」と名付けてブランドをスタートしました。 (写真:OverLab最初のアイテムでもあるサコッシュ) (写真:パラグライダーからパーツを切り取って行って、小さくなっていく生地からも小さなアイテムのパーツを取って、なるべくゴミが出ないよう、サイズ展開を増やした)   ―”環境に優しいブランドでありつづける”ことが、1番大切なことだと思っています(ジョンシル) マミ:今はパラグライダー以外に、キャンプ用のテントやヨットの帆、ダイビングスーツなどの素材も使われていらっしゃいますよね。パラグライダーの素材をきっかけにアップサイクルのブランドをはじめられて、他の素材に広げていくことは、ブランドを始めた時から考えていらっしゃったのですか? ジョンシル:はじまりはパラグライダーでしたが、「廃棄されてしまう素材を活かす」というのがOverLabのやり方です。私自身、元々アウトドアやレジャースポーツが好きだったので調べてみたら、パラグライダーに限らず、他のスポーツで使われるギアやウェアも同じように、本来の用途として使える期間が短いために、廃棄されていることを知りました。軽くて薄い素材、分厚くて丈夫な素材、さまざまな素材をつかうことで、トレンドに関わらず、多くの方にブランドをずっと好きでいてもらえることにつながっていると思います。デザインでも、”長く使ってもらうこと”を一番考えています。シンプルなものはトレンドに流されずに長く使えるから、必要のないディテールは取り入れない。パーツや形、アイテムの持つひとつひとつの要素に理由があります。そうやって削ぎ落としていって洗練されていることこそが、OverLabのデザインの特徴だと思っています。 (写真:OverLabでは様々なレジャースポーツで廃棄される素材をアップサイクルしたものづくりをしている) ジョンシル:これまで”環境にいい”を謳うブランドが新しくできてはなくなっていくのを、何度も見てきました。でも、環境をよくするって数年でできることではありません。少しずつ、着実に取り組んでいかなければいけないのに、1年、2年で、すぐにブランドがなくなってしまったら何も変わらない。だからこそ、”環境に優しいブランドでありつづける”ことが、1番大切なことだと思っています。長く続いていくなかで、OverLabを通してたくさんの人に環境問題について知って、ひとりひとりに何ができるのか、考えてもらえたら嬉しいです。 ―SISIFILLEとOverLab、考え方が共通する部分がいくつもあって、一緒にものづくりをしたいなと思いました(ジョンシル) ナツキ:今回、私たちから一緒に何かできないかとお声がけして、実現できることになったときはすごく嬉しかったです!お声がけした時の第一印象、SISIFILLEをどんな風に思ってくださったのでしょうか? ジョンシル:最初にお話をいただいた時は、日本のブランドと聞いて、言葉の壁も距離もあるし、難しいかもしれないと、正直思いました。でも、SISIFILLEさんのWEBサイトを見て、ブランドの世界観がすごく魅力的で。本当に「やさしい」ものづくりをしているんだと伝わってきました。たくさんのブランドが「環境にやさしい」とか、「人にやさしい」と言っているけれど、実際につくるアイテムや世界観からはそれが感じられないものも多いです。ただ売り上げを上げるためにそういう言葉を使っているブランドも多い中で、SISIFILLEさんの取り組みを知って、本当に環境に配慮したブランドなんだと思いました。環境のことを考えて、自然なアイテムを作ること。トレンドに合わせた凝ったデザインを取り入れるのではなく、長く愛されるものづくりをすること。私たちOverLabと考え方が共通する部分がいくつもあって、一緒にものづくりをしたいなと思いました。   コラボポーチのご購入はこちら   ■ パク...

許しながら重ねて、どんどん魅力的になっていく。 生活の中で描く「やわらかい世界」ー安藤晶子さん

日常のふとした瞬間に宿る美しさや、それを美しいと感じる感覚を忘れないように、画家の安藤晶子さんは、日々手を動かし続けていると言います。コラージュをはじめ、偶発的な線と色の出合いから生み出す、輝くような世界。そこには、安藤さんの「好き」や「嬉しい」がたくさん詰まっているのです。切っても切り離せない、日常と制作のこと、ものづくりのインスピレーションや、手作りの溢れる生活、そして愛猫の存在まで、安藤さんのやわらかい眼差しに触れてみたいと思いました。 -「私はこれかも」兄とは違う自分の得意なこと 父はサラリーマン、母は専業主婦というごく普通の家庭で育ちましたが、小さな頃から美術館にはよく連れて行ってもらった記憶があります。兄が一人いるのですが、小さい頃から頭が良く、野球部で部長をやるほど面倒見もよくて、私とは全然違うタイプ。一方の私は友達と遊ぶより、家で絵を描いている方が好きな子でした。 そんな姿を見てか、幼稚園になると兄と一緒に絵画教室に通わせてもらえるように。それまでは、兄に勝てることなんて何一つなかったけれど、自由にのびのび絵を描いていることを褒めてもらえて、初めて「私は、これかも」と思えたんですよね。 芸術系の大学に進学してからは、日々制作に打ち込んでいました。当時は今とは全く作風が違って、ダークな雰囲気の絵を描いていたんです。細いペンでひたすら描き込んでいく、そういうインパクトがあって、ちょっと恐さを感じるような絵を描きたかったんだと思います。   -「楽しい方を選んでいい」色彩とコラージュの作風へ 当時は、絵は、頑張って苦しんで描くものだという思い込みがあったように思います。でも自分にそれは合っていなくて。だから正直、制作に疲れも感じていて、気晴らしに描いていたのがコラージュ作品でした。私はもともと色を使うことに苦手意識があって、モノトーンの暗い世界ばかり描いていたのですが、コラージュとなると、不思議と自由に色を使えるんです。 あるとき、同級生の一人に「そっちを描いているときの方が楽しそう。そっちをやればいいじゃん」と言われ、びっくりしました。「楽しい方を選んでいいの?」って。でも、確かにその通りだと、コラージュをメインにしたら、どんどん描けるようになって。以来、自分の作風の大きな特徴になりました。   -描くことが切実に。絵に救われていると実感する日々 昨年から生活形態が変わり、今はバイトをいくつか掛け持ちしながら生活しています。ご飯を食べることや働くこと、そういう生活の中に絵を描くことがあって、生きていくにはどれもが大切。だけどどうしてもバイトに出る時間が多くなり、「生活」の比重が大きくなると、本来の自分を見失いそうになることもあります。家に帰ってきて、しばらくうずくまって休まないと、動けない日もあるくらい。 愛猫の「点子」ちゃん。「家に帰って、彼女の顔を見ると疲れが飛んでいきます」と安藤さん それでも、絵を描いていると、自分にハンドルが戻ってくるというか、自分を取り戻せるような気がするんです。絵に、すごく救われています。 これまでも「自分の内側の声を聞く」ことをテーマに描いてきましたが、生活が変化し、絵を描くことがこれまで以上に切実になったことで、日常の中の「救われる時間」がより輝き出したような感覚があります。1月に開催した個展では、そんな自分の感覚や気づきに重きを置きました。   -「見る」ことの気づき。頭の中より実物の方が面白い あるとき、道端を歩いていて、ふと見上げた木の葉に陽の光があたって葉脈がきれいに透けていて。その光景に「ああ、救われるなあ」と思ったんです。そして、そう感じている時間こそが、自分と向き合えている時間だと実感しました。 そうした日常の「救われる」瞬間は、花や花瓶など、何気ないものをじっくり見つめることの中にもありました。これまでは花や鳥を描くとき、何も見ずに空想で描くことが多かったのですが、私の所属するギャラリーのオーナーに、「実物を見て描いてみたら?」と言われ、素直にやってみたんです。そうしたら想像以上に面白くて。実物は、頭の中にあるものよりも遥かに奇想天外で、全く思いもよらない形や、曲がり方や、色をしているんですよね。ずっと絵を描いてきたけれど、そういう新しい発見は日々本当にたくさんあります。 -自分の声に耳を澄まして、小さな願いを叶えてあげる 生活に追われ、自分を見失いそうになったときには、小さな自分の願いを叶えてあげるようにしています。例えば、私はコンビニのカフェラテが大好きなのですが、それを買って少し散歩しようとか、あの曲をかけて一人で踊ろう、とか、そんな小さなことでいいんです。自分のやりたいことをちゃんと実現してあげると、自分の好きなものや楽しい気持ちをまた思い出せるようになります。 それから、ジャーナリング。私は、ちょっとモヤっとしたことや、ちくっと傷ついたことなどを“流せない”ところがあって。そんなとき、ノートに全部を吐き出すんです。自分の情けないところや汚い部分、醜い部分を文字にして吐き出すことで、心を落ち着かせ、そしてそんな自分がいることを認めてあげる。そうすると、だんだん他人に対しても「そういう感情、あるよね」「そんな態度とってしまうときもあるよね」と、許せるようになりました。 3年分のジャーナリングノート -許しながら重ねていく。間違いも、魅力に変わる コラージュは、色や柄の調和を意識しながら、パズルのように仕上げていきます。例え間違って線を入れてしまったとか、違う色を入れてしまったとか、そんな失敗があっても、その上からまた色を重ねたり、紙や布を貼り付けたりしていくことで、思いもよらない景色に出会えることもあります。重ねるほどに、それが深みや味になって、一層魅力的になる。だから失敗なんかないんです。 人生も同じで、日々生活の中にはいろいろあるけれど、点子と遊んだり、嬉しいとかきれいとか感じたりしながら、「楽しくていいんだ」「幸せでいいんだ」と、どんどん自分を許していいんじゃないかなと思うんです。そういう世界はやわらかいと思うし、みんなが幸せになれるような気がします。   ー好きなものほど永く一緒にいたいから、手をかけて大切に 身につけるものを買うとき大切にしているのは、鏡に映る自分を見て嬉しいかどうか、それからずっと一緒にいたいと思えるか。おばあちゃんになってもそれを着ている自分が想像できるかどうか。 新しいものを買うのももちろん好きだけど、やっぱり気に入ったものと永くいたい、という思いが強くあります。お気に入りのものほど早く傷んでしまうので、自分で繕ったり、リメイクしたりしながら使うのですが、どんどん唯一無二のものになっていくのも魅力だと思っています。...

振り返ることは、ほぐすこと。自分の言葉でつくる「やわらかい世界」ーきくちゆみこさん

「ままならない過去や体や心をほぐしてくれたのは、いつも書くことだった」と語る、文筆家・翻訳家のきくちゆみこさん。昨年出版した初のエッセイ、『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』(twililight)では、シュタイナーの学びを織り込みながら、過去の傷やトラウマに光を当て、「言葉とわたし」が、どう変化してきたのかを綴っています。日々のままならなさに、身も心も硬く押し込められてしまいそうなとき、「言葉」は、どんな力を与えてくれるのでしょう。きくちさんが言葉を通じて手にした、この世界をやわらかく生きるヒントについて伺いました。 ー耳から言葉を得て、表現することが好きだった子ども時代 小学校に上がる前、それまで暮らしていた東京郊外のニュータウンから、縁もゆかりもない神奈川県の港町に移住したんです。大人になった今では故郷の一つとして身近に感じていますが、当時はみんなが知り合いみたいなその土地で、自分だけが、ポツンと入り込んでしまった異物のように思っていました。「しゃんめぇじぇんよー(しょうがないだろう)」とか「けえんべえ(帰ろう)」とか、その土地に根差した言葉を耳にするたび、私はこのコミュニティの中に入れないんだという、拠り所のなさを感じていました。 そんな環境にいたせいか、私は周りの人をよく見ている子どもだったと思います。喋り方や、コミュニケーションの仕方なんかを、じっと観察して模倣するのが得意だったんです。当時の私が自分を解放できる場所といえば、劇表現の世界でした。母が自宅で開いていた英語教室では、プログラムの一つに、世界の名作を英語と日本語で劇表現する「テーマ活動」というものがあり、物語の吹き込まれたCDを耳で覚えて、みんなで劇を作っていくんです。それがすごく楽しくて。舞台の上、自分のファンタジーの世界の中では、別の人間でいられたんです。   ー言葉の響きは、世界との接触。他言語に触れて気づいたこと 子どもの頃から英語が身近だったのもあり、アメリカの大学院に進学したのはごく自然のことでした。当時は、映画字幕の翻訳の仕事がしたいとぼんやり夢見ていて、最初は映画を、その後は英米文学を専攻していました。 留学生活の中で面白みを感じていたのは、同じ英語でも、一人一人話すスピードも、使う言葉も、リズムも全然違うということ。当たり前のことなんですが、意味よりも音が先に入ってくるような第二言語の環境だからこそ、印象に残ったのだと思います。特に思い出すのが、受講していた現代詩の授業の時間です。先生が毎回その日扱う詩を朗々と読み上げてくれるのですが、その声自体が、詩の中で語られている世界を目の前に作り出していく感覚がありました。たとえば「Fire」とか「Smoke」とか、破裂音や摩擦音ではじまる言葉の音が、まるで炎を吹いたり、煙を吐き出したりしているように聞こえてくるんです。発音するときに口の中で生じるエネルギーや、触覚的なインパクトが、実際に空間を震わせるんだ、と興奮しました。 近所の誰もいない野球場。「この景色を見ると、アメリカに住んでいたときを思い出すんです」   留学中には、韓国人の友達もたくさんできて、「ペゴパー(お腹すいた)」とか、「ピゴネー(疲れた)」といった韓国語の響きは、感情を表すのにピッタリだなと思ったのを覚えています。そうやって、いろんな人のいろんな言葉に触れながら、この豊かな音の響きは、ある意味空気を通じた世界との接触なんじゃないかと気づきました。今も文章を書きながら、つい心地いいリズム、気持ちいい音の並びを探してしまうのは、そんな経験からだと思います。   ー私と夫と子ども。自分だけの世界から外へ連れ出された その後、当時の恋人との関係に苦しみ、仕事も思うようにできず、結局逃げるように日本に帰ってきた私は、友人の紹介で、今の夫、松樹と出会いました。彼とは同い年ということもあってすぐに打ち解け、これまでうまく言葉にできずに抱えていたこともスルスルと話すことができました。日本語でわかり合えることの安心感もあったのかもしれません。これまで、英語で表現することに必死だったけれど、もう無理しなくていい、安心して、伝えたいことを伝えていいんだと、彼の前では気持ちがすごく楽になりました。 娘のオンが産まれて7年が経ちますが、いまだに子どもがいることに、日々驚きを感じています。私と松樹、そこにオンという3人目の存在ができたことで、初めてそこに社会が生まれたんです。これまで人間関係や仕事から逃げて、自閉的に好き勝手やっていた私が、母親としてとか、家族としてとか、そういうことじゃなくて、一人の人間として、ちゃんと人と向き合わなきゃいけないんだと、初めて目覚めたような感じ。オンは、私のドアをガラガラと無遠慮に開けて、外に連れ出してくれたんです。   ー振り返り、書くことは、固まった世界をほぐすこと 昨年出版した『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』は、そんな3人の暮らしのこと、そこから見える世界、そしてそこへ辿り着くまでの過去を振り返って書きました。 私は、基本的に過去を「振り返って書く」ことが多いのですが、それは“ほぐす”ことだと思っています。例えば、つらい過去というものがあったとして、振り返らなかったら、それはずっと心の中でガチガチに固まったまま、わだかまりのように残り続けてしまう。でも、振り返ることによって光を当てて、こういうふうにも見えるな、こういうことなのかもしれないなと、新たな解釈を与えていくと、そこに新しいものが生まれてくるんです。 『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』でも、そうやって今の私と過去の私との関係をほぐしながら、書いていくことで、「だめ」としか思えなかったできごとに、少しずつではあるけれど、「だいじょうぶ」と言えるようになってきた。だから「振り返って書く」ことには、治癒的な効果があるとも感じます。 生きていく中で、私たちは、他者からいろんな言葉を学びます。それはすでに社会の中でガチガチに固められてしまった言葉かもしれません。でもそれを、自分の体や心にあうように、ほぐして、変えていくことこそ、「生きる」ということなんじゃないかと思うんです。全てのことは、時間を経て振り返るたびに、また別の光が当たります。そこに生まれる何かとても神秘的なものを、私は、愛しているんです。 ーシュタイナーの学びが教えてくれた、振り返ることの力、歳を重ねる喜び 「振り返る」ことに意識的になったのは、シュタイナー教育の学びも大きかったと感じます。そのきっかけが、記憶や思い出すことの力をテーマにしたZINE『わたしがぜんぶ思い出してあげる』(2019年)です。さまざまな文献にあたるなかで、「シュタイナー教育では、忘れることを大事にしています」という言葉に出会い衝撃を受けました。 きくちさんが28歳の頃からライフワークとして発行してきたZINE。「あてどないけれど、会いたい人たちがこの先にいると信じて、文章を綴っています」   娘のオンも通うシュタイナーの学校では、「エポック授業」という時間があり、一つの科目だけをおよそ100分間、3〜4週間という時間をかけて集中的に学ぶんです。一つの科目が終わったら、一度それは忘れて新しいことを学ぶ。そして再びタームがやってきたときに思い出せることこそが、自分の中でちゃんと受け取ったもの。他者から詰め込まれたものじゃなく、自分の中でいったん眠らせ、消化させ、再び思い出すことで学びが深まっていくという考え方なんですね。 季節を身近に感じられるようにとテーブルの隅に飾られた、「2月の祭壇」。   それを知って、これまで自分がずっとやってきたことも同じだなと思ったんです。自分のものでしかなかった過去を振り返り、新しく思い出すことで自分のことを深く知ることができるし、そうして思い出した過去は、他の誰かと分かち合えるかもしれない。振り返ることって、思い出すことって、本当にクリエイティブな行為なんだと、気づくことができました。 今は、歳を重ねることが本当に恵みに思えるんです。時を経れば経るほど振り返るチャンスが生まれるということだし、振り返り方にもいろんな方法があるとわかってくる。人生が山だとしたら、ある程度登らないと自分の人生を振り返るって、難しいと思うんですよね。私は今年、42歳になるけれど、よりいろんなものが見えるようになってきた気がします。今、見晴らしのいい場所から自分の人生を眺めながら、「歳をとるって、超いいじゃん!」という気持ちでいます。...

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シシフィーユチームによる本音座談会#02 ー肌着ー

シシフィーユのチームメンバーが、お題に沿って本音を語る座談会。第二回の今回は、Mami(マミ)とNatsuki(ナツキ)の2人が「肌着」をテーマに、それぞれ一押しのアイテムや製品企画の裏側について語りました。 ナツキ:今日は第2回のシシフィーユスタッフ座談会です。私ナツキとマミさんの2人でお話しします。改めて簡単に自己紹介をしましょうか。マミさん、お願いします。 マミ:マミと申します。シシフィーユでは、アイテムの企画やオンラインストアの運営を担当していて、今はニュージーランドからリモートでお仕事をさせていただいています。 ナツキ:私はシシフィーユに入ってから丸一年経ちました。営業と生産管理など担当しております。よろしくお願いします。 マミ:まあ小さいチームなので、なんとなくの仕事の分け方はありつつも、みんなでやっている感じですよね。 ナツキ:そうですね。私は日本で働いています。日本代表としてよろしくお願いします(笑)前回の座談会ではブランドコミュニケーターのクミさんと私たちの3人で、ブラとショーツについて、イチオシ商品や開発の裏話をしました。ただ、シシフィーユにはブラとショーツ以外にも、とても良い商品がたくさんあるので、今日はそのブラショーツの上に着る長袖のTシャツやレギンスなど、肌着類をテーマにしてお話したいなと。マミさんには開発の裏話なんかも聞けたらいいなと思っています。 マミ:よろしくお願いします!   「こんなの探してた!」と、選んでいただくことがたくさんあります!(ナツキ) ーLONG SLEEVE TEE "AMELIA"ー マミ:ナツキさんのイチオシ商品はなんですか?? ナツキ:ロングスリーブTシャツ“AMELIA”(アメリア)ですね!(マミさんが)今着ていらっしゃいますね。今の日本は“アメリア”一枚だと、さすがに寒いですが、そちらは今何度なんですか?? マミ:今日は23度ですね。今こちらは真夏なんだけど、日差しがとにかく強い。でも風が吹いたりすると寒いし、これ一枚着ているのがちょうどいいです。 ナツキ:“アメリア”って春や秋に着る長袖のイメージがありますけど、私も夏、結構着ていました。 マミ:室内の冷房寒いですもんね! ナツキ:そうなんですよね。そういう時に、薄い生地なのでちょうどいいんですよね。日焼け対策にもなるし。 マミ:うんうん。私も日本の夏、“アメリア”すごくよく着てた。日本では肌を見せることに抵抗があったので、夏でも比較的長袖を着ることがありましたけど、“アメリア”は薄手で風が通るし、長袖でも涼しい感じがあって。 ナツキ:早く夏になって、また“アメリア”を着たいです!中にブラキャミ“サリー”を着るのも定番で可愛いですよね。色を合わせたり、あえて違う色を重ねたりしてもかわいいです。 マミ:夏に活躍するのはもちろんだけど、冬場もセーターの下に着て、袖口から袖口のメローのフリフリをちょっとだけ見せるのが、かわいいけど甘くなりすぎなくてすごく好きです。 ナツキ:今みたいな冬の時期もよく着ています。ニットの下にアメリアを一枚着るだけでチクチクとかも抑えてくれるので。一枚で着てもかわいいけど、アンダーウェアとしてももちろん活躍しますよね。 マミ:“アメリア”の生地って、あのやわらかさと透け感を出すためにすごく甘く編んでるんです。それもあって、ちょっと伸びやすいというデメリットもあって。実は、発売当初はもっと首元が開いているようなデザインだったんです。そこから生地の特性に合わせて改良して、首がちょっとすぼまったような今のデザインになりました。襟が狭くなったことで、セーターの下に着て、敏感なデコルテ部分もカバーできる、よりアンダーウェアとしても活躍するようになりましたよね。 ナツキ:シシフィーユの中でも大人気商品ですよね。透け感も、すごくトレンド感があって。ポップアップイベントで手に取っていただいたお客さまに、「こんなの探してた!」と言って選んでいただくことがたくさんあります!“アメリア”はこれからも新色を出す予定もあるので、ぜひ楽しみにしていただければと思います。   どのアイテムも気持ちのいい生地を使っていますが、このアイテムは他に絶対負けない。(マミ) ーBRACELET SLEEVE TEE...

# BACKGROUND

シシフィーユチームによる本音座談会 ーブラとショーツについて語ろうー

アメリカに暮らすブランドコミュニケーターcumi(クミ)、ニュージーランドを拠点にしている企画担当のMami(マミ)、日本で営業を担当するNatsuki(ナツキ)の3人が本音で語るシシフィーユ座談会。アンダーウエアをテーマに、それぞれ一押しのアイテムや製品企画の裏側について語りました。 (写真)左上から時計回りに、マミ、ナツキ、クミ cumi:今日はスタッフ3人による初めての座談会ですね!まずは、簡単な自己紹介からはじめましょうか。 Mami:私はシシフィーユ(以下SISI)のアンダーウエアシリーズの立ち上げから製品企画に携わっていて、入社して6年目になります。今はニュージーランドに住んでいて、リモートでオンラインストアの運営も担当しています。 Natsuki:私は今年1月に入社して、もうすぐ11ヶ月になります。SISIの営業を担当していて、SISIの製品を取り扱ってくださっている先様とのやりとりのほか、日本各地でのポップアップイベントで店頭に立って直接お客様に商品を紹介させていただいたりもしています。 cumi:私は2015年にSISIの立ち上げを担当して、今はサンフランシスコベイエリアに暮らしながら主にコンテンツ制作やイベント企画などをしています。そんな3拠点でSISIを動かしているわけですが、今回は、改めて私たち3人でSISIのアンダーウェアについて話したいと思います。下着って、体型や好みによって選ぶものがはっきりと分かれるから、みんなで企画する時もそれぞれのこだわりが強く出るアイテムですよね。なので、改めてお互いの好みや、企画チームとしてこだわったポイント、実際に着用してみてどうかなど、リアルな感想をシェアできるといいなと思っています。(写真)ブラ「マヤ」 ―着け心地と、体を美しく見せるライン。どちらも妥協したくなかった cumi:まず初めにそれぞれ一押しのブラトップの話から始めましょうか。私は、マミさんと一緒に企画を担当したマヤが一番好きです。SISIのアンダーウェアがスタートする時に作ったアイテムだから思い入れもあるし、使い心地もすごく気に入ってる。 Mami:クミさんのマヤへの熱は、企画時からひしひしと伝わっていました。アンダーベルトの幅を何ミリにするかとか、細部までかなりこだわりましたよね。 cumi :そうでしたね。ブランドとして、肌ざわりと締めつけのないやわらかな着け心地というのを一番大切にしているけど、それだけじゃなくて、体が美しく見えるラインについても妥協したくなくて。それと、見えても下着っぽくない肩紐にしたかったので、どのカラーも紐は全て黒にして、なるべく細くしつつ、肌に食い込まないようなラインを探りましたよね。 Mami:ブラのストラップには丸い紐が使われていることも多いと思うんですが、私がなで肩なのもあって、ねじれて肩から落ちちゃうんですよね。それが結構ストレスで。だからSISIのブラは、肩から滑り落ちづらいようフラットなものを使いたかったんです。ただ、リボンやテープのように薄すぎるものだと食い込みやすくて跡が残ってしまったりするので、もう少し厚みがあって幅広のものがいいねというところであの紐に落ち着きました。(写真)ブラ「マヤ」とショーツ「フリーダ」 Natsuki:私もなで肩で、ブラ紐を治す仕草をあまりしたくないので、ズレにくいのはすごく嬉しいです。すっきりした形で、薄手の洋服を着ていてもシルエットを綺麗に見せてくれるので、私もマヤが好きですね。 cumi:夜もブラをつけて寝るという友人から、これまでつけて寝る習慣があってもやっぱり少し苦しさというか、締め付け感があったけど、マヤをナイトブラとして使ってみたら全くストレスを感じなくてすごく助かっているという話を聞きました。 Mami:個人的にナイトブラはしない派なんですが、もし胸が垂れないようにすることを目的として使うなら、テレサも良さそうですよね。マヤは私も好きでよく着ていますが、もうちょっとゆったり、でもホールド感もほどよくあるデザインのものがほしいなという個人的な思いで企画を進めたのがテレサで。マヤは、バストが豊かな方にとっては心許ないという声もあったのに対して、テレサはアンダーを太くして、少し脇を高くすることでホールド感をアップさせています。 Natsuki:イベントで販売する時も、お胸がある方は、安心感がある方がいいと言ってテレサを手に取ってくださいますね。あと、私はヨガの時にテレサをつけるんですけど、コットンで汗を吸ってくれて気持ちいいですし、締め付けもそこまでないので、軽い運動する時に良いですよとよくおすすめしています。 (写真)ブラ「テレサ」 ―手前味噌ですけど、生地の気持ち良さでは他には負けないなって cumi:ショーツはどうですか?私は、生理用ショーツのボクサータイプが一押しです。ウエストと足口にゴムが入っていないから、極端に言うと履いてないみたいな感じの着心地。汗をかいて痒くなる部分の締めつけがないのが本当に快適で、他のものを履けなくなりました。サニタリーショーツだけれど、普段履きできるのも良いですし、友人からもすごく好評です。実際リピート率が高いアイテムですよね。 (写真)生理用ショーツ「ボクサー」 Natsuki:ポップアップでも、持っているけどもう1枚ほしいと購入されていく方が多いです。 Mami:私、生理用ショーツの防水布でかぶれちゃうことがよくあったんです。だからSISIでピリオドショーツを作ることになった時に、防水布は使いたくなくて。それでも漏れずに、いかにフィット感を出すかという部分を模索しました。他のブランドさんでもオーガニックコットンを使っていたり、防水布を使っていないタイプのショーツも増えてきましたが、SISIはブランドの運営をしているのが生地メーカーであるという強みもあって、手前味噌ですけど、生地の気持ち良さでは他には負けないなって思います。Natsuki:私はフリーダが好きです。おへそまですっぽり隠れるハイウェストのショーツっておしゃれなものあまりないですよね。デザインより防寒重視みたいなものが多い印象がありますが、フリーダは水着みたいですごくスタイリッシュ。さっき話にでたブラのマヤやテレサと色が一緒なので、セットアップにできるのも良いんですよね。(写真)ブラ「テレサ」とショーツ「フリーダ」 Mami:私、ご飯を食べた後にお腹が出る胃下垂タイプで、ハイエストのショーツは食後ウェスト部分が食い込んだり、縫い目が当たってチクチクしたりするのが気になっていたんです。だからフリーダを作る時は、それを解消したくてサンプル制作を重ねました。フリーダの前側の縫い目は、乳癌の患者さんのように極端に肌が敏感になっている方に向けたブラで採用される仕様にしていて、内側は凸凹のない縫い目にしています。 cumi:オーバーショーツで言うと、ライフスタイルブランド「EMILY WEEK」さんとコラボレーションしたカーキのホールガーメントオーバーショーツも良いですよね。これは、元々メンズのショーツからスタートしていて、私がちょうど妊娠していた時期にこの原型のサンプルを履いていたのですが、お腹が守られている安心感はあるのに、夏でも蒸れなくてすごく快適でした。今も生理の時、お腹冷やしたくないなという時に季節問わず使っています。(写真)「ホールガーメントオーバーショーツ」Natsuki:最近寒くなってきたので、私もちょうど買い足したところです!意外と薄手なので、ごわごわしないのが良いですよね。 Mami:ホールガーメント(無縫製)で作るってすごく難しくて、1からこの形に編んでいくんですよ。そうすると布の無駄な切れ端も出ないので、サステナブルでもあって。私も大好きで、洗濯しすぎてペロペロになっても使い続けています(笑)。私的には、ローザが一押しです。SISIのショーツは共通して鼠蹊部の締めつけが少ないものが多いですが、ローザは足回りにはゴム入っているけど、ぐるりと一周は回ってないんです。後、この形は、足がすごい長く見えると思っていて。cumi:一般的なショーツに一番近い形がローザですよね。平置きで見るのと着用で見るのとで印象が違うアイテムなので、モデルの着用写真を見てもらえると分かりやすいかもしれない。 (写真)ショーツ「ローザ」 ―SISIの気持ちのいい素材に、補正力が加わったら最高かも cumi:改めて話をしてみると、体の悩みや、選ぶポイントがみんなそれぞれ違っていておもしろいですね。今後また新しいプロダクトも企画していきたいですが、 こんなのほしいなっていうのはありますか?...

# BACKGROUND

美味しい記憶がつくる私の料理 ー人を喜ばせることが私の原動力になるー石川早乙美さん

奈良県にある日本料理屋「万惣」の娘として生まれた石川早乙美さん。ミシュランガイドで星を獲得する名店で、幼い頃から働く両親の姿を見て育ちました。それでも料理を仕事にするとは想像もしていなかったという彼女は、30歳を過ぎて料理の道へ。自分らしい料理のあり方とは何だろう。自問自答を繰り返しながらたどり着いた今の形、そしてこれまでの道のりについて話を聞きました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると、私たちは考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ー父の味、母の味で育った幼少期 奈良で日本料理屋を営む両親のもとに生まれた私。幼少期は、知らないおじさんとゴミ拾いをしたり、カブトムシのゼリーを食べたりと、周囲からは奇想天外と言われるような子どもだったそうです。父は料理人、当時母は女将としてお店に立っていたので、子どもの頃からお店にいることも多く、父とお弟子さんが料理をする様子や母がお客さんに接する姿なんかをじっと見ていました。お客さんには出せない料理の端っこを食べるのがとても楽しみで。父は家では全く料理をしなかったので、家では母がごはんづくりを担当。おかげで、お店の料理から家庭料理まで幅広い味に親しむことができました。 ー介護職からアパレルに。そしてイタリアへ これまでの道のりを振り返ると、とにかく好奇心が旺盛で、やりたいことがたくさんあるタイプでした。高校卒業後は、子どもが好きだったこともあり短大の保育学科へ。ところが保育と一緒に社会福祉の勉強をしていくうちに、介護の方にはまっていってしまって。おじいちゃん、おばあちゃんたちからもらうエネルギーがすごかったんです。下のお世話も平気でしたし、お年寄りとの関わりから衝撃を色々受けることがたくさんあって。卒業後は介護の仕事に就いたのですが、実家暮らしだったこともあり、自立したいと思うようになりました。母は大反対したものの、奈良を出て東京へ行こうと決意。ファッションも好きだったので、アパレル会社に入り、念願の一人暮らしが始まりました。 働き始めて3年が経った頃、スタイリストさんと話していると、ふいに「本当は何がやりたいの?」と聞かれたことがありました。その方とはその時が初対面だったのですが、私の顔に覇気がなかったみたいで…。そんなふうに言われて考えてみると、海外に行きたいなと思ったんです。そのスタイリストさんは長年暮らしたイタリアから帰国したばかり。イタリアの魅力ある話を聞いて「じゃあ来年から行ってみます」と。すごく唐突なんですけれど(笑)。それからは必死でお金を貯めて、渡伊しました。イタリアでは語学を学び、仕事もしていたのですが、日本で結婚することになり、27歳の時に帰国しました。 ー思いもしなかった料理の道を歩み出した30代  料理を仕事にするなんて想像もしていませんでした。きつい仕事だと身に染みてわかっている父も、勧めてきたことは一度もありません。ところが結婚後、フリーランスのPRとして働いていた時、友人のイラストレーターと話す中で「お弁当をつくってみたい」と気づいたら口走っていました。すると、すぐにイベントでお弁当を出す機会を頂いて。もちろん料理の技術なんてないですし、今思うと本当に怖いもの知らずというか…。でも、小さい時から味わってきた料理を舌が覚えていたんですよね。父の料理の所作を思い出しながら、母が作っていたクリームコロッケも入れたいな、なんて試行錯誤しているうちに、自然と父と母の料理を融合したようなスタイルが出来上がっていきました。 どうしてあの時、料理をやりたいと言ったんだろう。ずいぶん思い切ったなと今でも思います。なんとなく思い当たるのは、まだ奈良に居た頃によく立ち寄っていたカウンターだけの餃子屋さんの存在。朝方に行くと、いつもカウンターの端っこで旦那さんが寝ているんです(笑)。常連もご主人だって分かっているから、風邪ひくよって毛布かけてあげたり、好きなお酒を置いてあげたりして。そのお店のあたたかさが大好きで、いつかこんなお店がやりたいなって漠然と思っていたんです。 ー料理を通して何ができるだろう。自問自答を続けて導きだした答え 2017年、ケータリング事業として「惣々」を立ち上げ、個人で活動を始めましたが、次第にノウハウをちゃんと学びたいと思うようになり、ケータリング事業部がある会社に就職。その頃は子どもが生まれていたので、子育てと仕事の両立を模索していた時期でもあります。その後、飲食店を営む友人に声をかけてもらい、ランチの時間店舗を間借りして定食屋さんを出すことに。メインは、肉吸い定食。私が一番好きな母の料理です。味もしっかり覚えているし、この辺のお店にはない料理だしと肉吸いと日替わりを出す「定食屋惣々」を開店。一年ぐらい続け、お店を閉めてからは知り合いの居酒屋のオーナーに声をかけていただき、そのお店のお惣菜を作らせてもらっていました。 場所を転々としながら考え続けていたのは、料理というツールを使って私は何ができるだろうかということ。私が料理の世界に入ったのは遅かったので、周りの料理人たちはもうすでに一本筋が決まっている人ばかり。そのせいか、すごく焦っていたんです。悩んだ結果、日本料理を一から学ぼうと銀座の高級料亭で修行することに決めました。修行を続ける中で、社長から「将来はどうしたいんだ?」とよく聞かれていました。技術も知識もまだ学ぶことがたくさんある。だけど、本当に私がやりたいのは、高級料理ではなくて、父と母の味、祖母の味、近所のコロッケ屋さんの味、そういう身近な料理だと気づきました。あの味を引き継ぐことが今の私にできることなんじゃないだろうか。立ち返ることができる料理、そういう存在の大切さを感じるようになっていたんです。懐かしさや安心感までが、私にとっての“美味しい”ということ。これからは、私の記憶を料理にしていこう。それを食べた人を笑顔にできたら、そんな幸せなことはないなって。 ー人を喜ばせることが一番の原動力。私にしかできない料理をつくりたい そして料亭を辞めて、父親の元で勉強しながら、母の味をたんまり味わおうと実家に1ヶ月帰ることにしました。時間が空いたある日、久々の検診に行ったところ子宮の病気が発覚。今までの人生では、もっとやってみたい、経験したいことがたくさんあった私。でも病気が見つかったことで、本当に好きなことだけを仕事にしたい。料理人という固定概念に囚われずに、私にしかできないことをやりたい。心からそう思うようになりました。今は、「気取らない料理」をテーマにケータリングや出張料理を中心に活動しています。先日は初めて海外へ。旦那が内装・設計デザインした友人の営むオーストラリア・メルボルンのレストランでPOPUPをしました。「どこか懐かしい味。実家を思い出して泣きそう!」「小さな日本を連れてきてくれてありがとう。」と、お土産になる言葉をたくさん頂きました。私の中で、料理と人はセット。私が人に返せるものってやっぱり料理ですし、食べてくれる人がいる限りは、ずっと作り続けたい。お腹が減ったと聞けば、「作るからいっぱい食べな!」という気持ちになります。私の料理が誰かの役に立つならいつでも作るよって。どんなに疲れて帰っても、家族からの「おかわりある?」という言葉がその日の最高のご褒美になり、それがあるからまた次の日も頑張れる。人を喜ばせることが一番の原動力。だから私は料理人っていうより、みんなのお母さんでいたいんですよね(笑)。そしていつか、大好きなあの餃子屋さんみたいな、みんなが集えるあたたかいお店を形にできたらいいなと思うんです。 ■ 石川 早乙美 / 料理人、「惣々(そうそう)」主宰 奈良県生まれ。父が日本料理屋「万惣」の料理人であることから、幼少期から食に親しむ環境で育った。介護職、フリーランスPRを経て、料理の世界へ。2017年にケータリング事業「惣々(そうそう)」を始動。定食屋の開業、おばんざい・お惣菜屋の料理長、懐石・割烹料亭での修行などを経て、おもてなしの心を忘れずに、日本食の素晴らしさを伝えていきたいという想いを強くした。現在は出張料理人、ケータリング事業を中心に活動中。 instagram: @soso_souzai Photo : Nishitani KumiText&Edit : Nao...

# 自分らしく生きる

自分の感覚に呼応することで見えてきた進むべき道 ―ネイル、アート、そして耳ツボと― 関根祥子さん

ネイリスト歴17年、お客さんとのコミュニケーションを通して創り出す唯一無二のデザインで人気を集めるネイリストの関根祥子さんは、今年の5月、11年間続けてきたご自身主宰のネイルサロン「mojo NAIL(モジョ・ネイル)」を休業しました。日夜、代官山のサロンでお客さまと向き合いながら、その合間を縫って数々の著名な人々との仕事をこなし、精力的に活動してきた中でサロンワークを休止した理由。15年以上ノンストップで駆け抜けてきたこれまでのこと、気持ちの変化と現在地。新たに取り組んでいる「耳ツボ」とこれからについて、お話を聞きました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ー美容師を志すも、体調不良からネイルの道へ 子供時代を振り返ると、活発な子だったと思います。覚えているのは折り紙とか、手先を使う作業が得意だったこと。クラスメイトから「折り紙博士」って呼ばれていました。(笑) 自分で何か作ったり、それを教えたりするのも好きな子供でしたね。 そんな子供の頃からなりたいものが美容師。小学校のアルバムに「美容師」と書いて以来その夢が変わることはなく、高校を卒業してそのまま美容専門学校へ進学しました。専門学校卒業後も順調にヘアサロンへ就職してアシスタントから始めたんですが、実は学生時代からとても生理痛が重いことが悩みで...。それが二十歳くらいの時にさらにひどくなり、仕事にならないくらい体調が悪化。 子宮内膜症だったことがわかり、サロンと相談をして治療に専念するために実家へ戻り休養することになりました。そしてその期間にネイルとの出合い、というか再会が。実は、専門学校のカリキュラムでネイルも少しだけ教わっていたんです。当時は美容師になることが目標だったのであまり気に留めてなかったんですけど、割と得意だし、好きでした。地元でネイルサロンをやっていた先輩が「体調が良い時に来たら?」と声をかけてくれて、そこから時々遊びに行ってはネイルチップで作品を作って置いてもらっていました。それがお客さんの目に留まって「このネイルをやりたいと言ってる人がいるよ」と。それをきっかけに友達やそのまた友達にネイルをさせてもらうようになりました。そこで自分のお客さんを持てたことが楽しくて、「ネイルって面白いかも!」と思い、ネイリストとしての道にチャレンジすることに。当時は長時間の立ち仕事が難しかったので、座って仕事ができるところも後押しになりました。 ー「mojo NAIL」の立ち上げからコロナ、そして耳ツボとの出合い 決意してからはまず、ネイルの検定資格を取ってサロンワークをしました。表参道で2年、中目黒で3年ほどサロンワークをした後に、独立して「mojo NAIL」を立ち上げたのが12年前ですね。 そこからはありがたいことに順調にお客さんが増えて、モデルさんや俳優さんとの様々な撮影を始め、サロンワーク以外のお仕事も充実していきました。その合間に定期的にまとまったお休みをとっては大好きな旅に出て、休憩とインプットをする生活を楽しんでいました。 そこから変化があったのが4年前のコロナの頃。コロナがピークの時はお店を閉めていましたが、サロンではマンツーマンでネイルをしていたこともあり、お客さまとの信頼関係によってコロナ前と変わらずサロンワークはしていました。でもステイホームが呼びかけられ、国内外への旅行になかなか行くことが出来なくなっていた時期があり、必然的に仕事と向き合う時間が多くなっていました。そんな日々が続き、2年ほど前にガクッと体調の変化を感じて。手や肌が荒れたり、常に疲れが取れない、思うように身体が動かないなど、今までとは違う感覚に戸惑いながらも、これまで向き合ってこなかった身体のことが気になり始めて。そこからいろんなことを勉強したり、試してみたりとしている時期がありました。試行錯誤しながら、自分のケアと仕事のバランスを探す中で、友達が「耳ツボ、いいよ!」って教えてくれたんです。早速耳ツボをしてもらったら、帰りにびっくりするくらい身体が軽くなったんです。その時に「すぐに学びたい!」と思い、耳ツボセラピーを学びに行きました。耳ツボを知る中で中医学のこと、陰陽五行などの勉強を始め、去年、耳ツボセラピーのディプロマを取得。そこから少しずつ、友達やネイルのお客さんに耳ツボを施術するようになりました。 ー12年目を目前にネイルサロンを休止、その経緯とは? 今年の5月にサロンワークを休業したんですけど、実はそう思い立ったのはそこから3ヶ月前の2月でした。思い返せば10年以上「mojo NAIL」が中心の生活を送っていたんですよね。コロナ禍でさらにそれが加速して、気付けば自分の生活がままならなくなっていました。週に6日から7日、サロンで朝から晩まで働いて、帰ってきたらベッドに倒れ込む。そして朝方4時頃に目を覚ましたら、お風呂に入って少し寝てまた出勤するという日々でした。そんな生活の中で「自分は何をやっているんだろう」と思ってしまって。自分のキャパシティを大きく超えて、心身のバランスが全然取れていない状態でした。そんなある日、夜にボーッとしていたら「辞めてみよう!」って何かが落ちてくるようにストン!!っと思って(笑)。そしたらすごく気持ちが楽になりました。そこからの3ヶ月はよりネイルの楽しさ、サロンワークの楽しさをダイレクトに感じた時間でしたね。 お客さんにそれを伝えた時の反応は「ついにその時が来たか」という感じでした。実は去年、サロンオープン10周年を記念して個展を開催したんです。ネイルをした時に筆を拭いたキッチンペーパーや、ピンときた色合いの廃材、それらと旅先で撮った写真を合わせて作品にしたり、ドローイングしたり、手元だけを映した映像作品を作ったり、ネイルに関する過去のあれこれと何かを合わせて新しいものを作って披露した個展でした。自分にとってはただ節目の年ということを理由に開催したつもりだったんですけど、今思えば変化を求めていたんだろうなと思います。お客さんや友達には「関根さんはいつかサロンワークを辞める時が来るかもしれない」と感じとっていた人もいて。ネイルを通して相手と向き合ってきたからこそ、気づかないうちに私の心の動きも伝わっていたのかもしれないなって思いました。今思い返すと、当時は毎日パンパンに予定を入れて、仕事をこなしていることがステータスだったし、そこに安心感もあった。そうして働いていることが自分の自信になっている自覚もあったし、辞めてしまうと自信まで無くしてしまいそうで怖かったんだと思います。新規のお客さんの受付けをストップしたり、仕事を減らそうとしてみたりしたこともあったんですけど、やっぱりどうしても気持ちが休めなくて…。そうして身体がおかしくなるギリギリのラインに来た時に、自分の意思を超えて「辞めよう!」と思ったんだと思います。辞めてからは、しっかりと休むために1ヶ月くらい海外へ行きました。ヨーロッパ、北欧のエリアをぐるりと。 ー1ヶ月の海外生活、帰ってきた時に感じた東京について 辞めようと決意した後も、海外へ出てからも突発的に不安が込み上げてきたことはありました。これまでは海外で充実した時間を過ごしながら、帰れば仕事があるという安心感があったけど、果たして今回の決断はあっていたのか?みたいな。それでも海外にいる間に少しだけ持っていったネイルの材料を使ってポップアップをやらせてもらったり、気持ちも何段階か経たりしているうちに、不意に「大丈夫、私は間違ってなかった!」って思えるようになりました。ネイルも耳ツボもどこでもできるし、お金がなくなったら働けばいいんだって気楽に考えられるようになった時、一気に不安から抜け出して、自分は進みたい道へ進んでいると感じられたんです。  そんな1ヶ月を過ごした後7月下旬に東京に戻って来て、その時に気づいたのは、私自身が自分の世界観を狭くしていたということ。「mojo NAIL」を自分で始めて、そこには1日にどのくらいお客さんが来て、こんな仕事をして、こういう存在でいなきゃ!って、自分で自分の世界を創り上げていた。でもそれを続けていく中で、いつの間にか東京という場所を窮屈に感じてしまっていたんだと。海外から戻ってきた時、昔なら「世界は広かった、日本は狭い」と感じたと思うんですが、今回は海外も日本も同じというか、どこにいても一緒で世界も日本も東京も広くて自由だと思えたんです。今までは友達に誘われても仕事で予定が埋まっていて動けないことが当たり前だったけど、今は声がかかったらサクッと出かけられるし思いつきで人とも会える。その身軽さ、時には不安とも表裏一体になれる自由を感じられるようになりました。最近では予定を詰め込まず、不意に出かけた時に寄り道したり、自分の気の向くままに移動したりしていると、いろんなものがきちんとフィットしてきて、気づけば1日にすごくいろんなことが起こっていて、良い出会いがあったり、美味しいものが食べられたり、そんな心地よさを味わえるようになりました。今は、予め決めたわけじゃない場所での出合いが私の人生に必要なことだと思える感覚を楽しんでいます。 ー今取り組む耳ツボと、関根さんのこれからのこと 今現在は、ネイルのお仕事を続けながら、耳ツボを通して人間の持つエネルギーや性質のすばらしさについてより深く勉強している最中です。二十歳の時に体調を崩して病院や薬が苦手になり、サプリやマッサージなど健康に関する様々なことを実践してきましたが、耳ツボをすると胸が開いて楽になったり、身体がポカポカしてきたり、すぐにその良さを体感できるんです。心まで楽にしてくれるところも良いなと思っていて。 (写真)左のペン状のものは耳ツボを押す際に使うフェイスポインター。中央上、アーユルヴェーダにヒントを得て作られたという「Daruma」のイアオイルを使った耳のマッサージを毎日欠かさない。右下には、小さく輝く耳ツボシールたち。 今はやりたいことが頭の少し上のあたりでモクモクしている状態。私の中でそれらがまだはっきりとは繋がっていないんですが、それが降りてくるのを待っています。私にとってはネイルも耳ツボも、個展で披露したようなアートもすべて、アウトプットする形が違うだけで同じことをしている気分。人間には、それぞれ様々な出来事や想いがあると思うんですけど、これからもネイルや耳ツボ、アートを通して人に寄り添えるものを提案したい。私は私を存分に楽しみながら、みんなにとって自分自身を楽しませるきっかけ作りができる人になれるといいなと思っています。 ■ 関根祥子 / ネイリスト、「mojo...

# HEALTH# 自分らしく生きる

暮らしの風景を創造できるような麦酒をつくりたい ー里山の原風景を紡ぐ夫婦の物語ー中村レイコさん

長野県・青木村の里山で「麦酒(ビール)」の醸造を行う「Nobara Homestead Brewery(ノバラ・ホームステッド・ブリュワリー)」の中村レイコさん・圭佑さんご夫婦。家族の住居と醸造所を兼ねた4000坪ものフィールドで「暮らしに根ざした酒文化の創造」をテーマに、自然の恵みを活かした麦酒づくりをしています。二人の子どもを育てながら醸造所の運営、フィールドの整備を担うレイコさんに、これまでの歩みと麦酒に込めた思いを聞きました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると、私たちは考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 (写真)デザイン、広報も自ら一貫して担う ーデザインバックグラウンドを持つふたりの出会い もともと、都内でデザイナーとして活動していた夫と、同じく東京でデザインを基軸とした職場で働いていた私。がむしゃらに目の前のことをこなしていた20代、私の転機になったのは東日本大震災でした。震災後の社会への違和感や働き詰めの日々に疑問を感じて、日本を飛び出し単身スコットランドへ。このままではただ流されて生きていくことになるような気がして、リセットしたいと思ったのです。スコットランドでは、自分と向き合い、デザインというものを改めて捉え直したり、この先どうやって生きていこうかと人生を立ち返ったりすることができました。将来的に自分のブランドを作りたいと思うようになり、ブランドの立ち上げから学ぼうと、2013年の帰国後はブランディング業界で働きました。 夫と出会った時、お互いデザインを職業としていて、同じ関東圏の出身だったり、お酒が大好きだったりと共通点がたくさんありました。また、お互い若い時から順風満帆な道を歩んできたわけではなく、デザインに関しても現場での叩き上げでやってきた、みたいなところにすごく仲間意識を感じたのです。やがて、私のブランドを作りたいという思いや彼のモノづくりに挑戦したいという気持ちが合致して、一緒に麦酒を作ろうという話に。私たちが携わってきたデザインにまつわるあれこれを集結させたらきっと叶えられるだろう。そして、麦酒を作ることは私たちふたりの夢になりました。 (写真)念願の助産院で長女を出産 ー家の道しるべとなったパーマカルチャー 結婚後、2018年に第一子を出産。産後、体重の減少や手の震えなど体調が優れない日々が続き、その後の健康診断でバセドウ病を患っていることが判明。この頃、病気による感情の起伏の激しさや身体の不調、初めての子育て、コロナなど多くのことが重なり、私も夫もお互いにストレスを抱え、夫婦の関係性も悪化していました。お医者さんからは、病気を治すにはストレスをなくすことと言われ、生き方を見直すことを考え始めました。そんな中、神奈川県藤野町にあるパーマカルチャー・センター・ジャパンのデザインコースのことを知り、これで人生が変わるのではないかと直感的に感じました。ここに行けば、病気も家族の関係性も良くなるかもしれない。まだ娘が小さく不安もありましたが、夫と相談し、思い切って月に一度、泊まりがけのプログラムに参加することにしました。(写真)パーマカルチャー・センター・ジャパンでの講義風景 パーマカルチャーとの出合いは、本当に人生を変える出来事でした。私が生きたい世界はこれだ、これなんだ、と心が震えたことを覚えています。1年間受講した後、次は夫にバトンタッチ。夫婦共に学んだことで、これからの暮らし方、麦酒作りへのビジョンを明確に描くことができるようになりました。パーマカルチャーの考えに沿った自然と共にある暮らしを実現することで、これまでうまく運んでいなかった全てのことが解決するだろう。そう確信し、東京ではない場所を探し始め、巡り合ったのがこの地です。大正時代から受け継がれてきた住居と自然豊かなフィールドを抱えたこの場所を初めて訪れた時、幼少期の原風景がふと思い出され、ここで生きていることを感じられるような暮らしをしたいと強く思いました。そして、2021年に移住。居を改修し、フィールドを整備しながら醸造所を作り始めたのです。(写真)既存厩舎を生かし取りして組み上げた客席部の建前(写真)醸造を担当する夫の圭佑さん ー暮らしに寄り添い、命を感じられるような麦酒を作りたい “生きること”をするために何をしていこうか、と考えた時、私たちの答えは“人の身体に入れて出せるものを作る”ということでした。私たちは食を通して命を循環させている生き物です。麦酒は海外で生まれたものですが、原料の麦は、昔から食べ物として日本人の身体に入ってきたもの。私たちは「麦酒」を作っているというより、日本で生まれた「麦酒」という食べ物を作っているという感覚がしっくりきています。食べ物を作っているということは、すなわち命を作っているということ。素材もなるべく自然に寄り添ったもの、この土地にあるもの、季節に寄り添ったものを使い、命を感じられるような麦酒を作っていきたい。美味しいというのはもちろんのこと、飲んでくれた人がここの美しい情景までが浮かぶような麦酒作りを目指して日々真摯に向き合っています。私たち夫婦の幼少期の記憶として、親戚が集まって麦酒を飲んでいた姿が強く印象に残っています。そのせいか、日常にもお祝いの席にもあるお酒というものがすごく好きなんです。麦酒は、人との繋がりを強めてくれるものだと思っていますし、麦酒だけではなく、お酒がつくるコミュニティも醸造していきたいと考えています。人が食と麦酒を囲む暮らしの風景を作っていきたいんです。 ーこの地に生きにきたけれど、死にもきたのだ  移住して初めの年は畑を作って、コンポストを作って、オフグリッドにしてなど、思い描いていたことを様々やってみたのですが、その結果すごく忙しく大変になってしまいました。畑にしても家族だけでは消費できないぐらいの野菜ができてしまって。余剰は分け合うというパーマカルチャーの考えがあるのですが、人に分けてもまだ余るぐらいでした。土に還すこともできるけれど、それもどうだろうとモヤモヤ考えているうちに二人目を妊娠していることがわかり、二年目はお休みしました。すると、地域の方達から家族が生きていけるぐらいの量の野菜が運ばれてきました。野菜はもう十分に地域に循環していたんですね。ということは私たちがこれ以上作る必要はなくて、他にやるべきことがあるんだと考えるようになりました。やがて季節が巡り、庭になった美味しい柿を皆さんに返しました。昔この土地を開拓した人たちが植えた果樹が、今見事に実をつけてくれている。何十年もの月日を経て、今その恵みを私たちがいただいているということ。これこそを循環というのではないだろうか。循環する仕組みというのは、無理をしなくてもアクセスできるものなのかもしれない。これは、この暮らしをもってしか分からないことでした。今も、循環とはどういうことなのか、少しずつ、少しずつ噛み砕いて考えています。(写真)地名に由来する奈良品種の柿が実る  (写真)自生している植物はなるべく使っていきたい 私たち夫婦も人生折り返しに近づき、この地には生きにきたけれど、死にもきたのだということを感じています。生きると死ぬということがグッとつながったのです。生き物と共存した生態系の中では、最期は土に還ります。いつか土に還るために、私たちは何をしていくの?ということを意識するようになりました。近い将来には、敷地内の樹木や、果樹、薬草や穀物といった、生きるために必要な食料の知恵を皆さんに伝えていきたいと思い、ゆくゆくはこの場所をBrew(醸造する)と、Library(図書館)から成り立つ造語「ブリューブラリー」として地域に開き、誰もが立ち入れて学べる場所にしたいと考えています。この暮らしが始まって、まだ三年。やりたいこと、課題は山積みですが、今の私たちの関係性ならば、一緒に思案しながら解決していけると思うんです。 ■ 中村レイコ / Nobara Homestead Brewery フィールド・ファーメンテーション・ディレクター 空間・イベント・グラフィック等、 クリエイティブの分野に広域的に従事。 3.11を機にスコットランド・エディンバラに留学。2021年に長野県青木村へ移住。麦酒醸造所「Nobara Homestead...

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「肌ざわり」がわたしたちにもたらすもの File04 ー人と自然をコネクトする線になれたらー 新美文栄さん

「オーガニックコットンという素材のやわらかさで誰かの心を少しでもやわらかく、軽やかにしたい、もっと言えば、世界をもやわらかくしたい」と考える私たちが、さまざまなフィールドで活躍する人々にフォーカス。独自の感度を持つ人々に日常や身の回りのこだわり、惹かれるものについてお話を聞きながら、肌ざわりと心の関係性を紐解きます。今回は、ジュエリーブランド「LiniE(リニエ)」のデザイナー新美文栄さんにインタビュー。ブランドの歩み、そして宮崎と東京の二拠点暮らしについても伺いました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ー身につける人が心地良いものを作りたい --まずはじめに、新美さんがジュエリーの世界と出合ったきっかけを教えてください。 新美:高校を卒業して美大のランドスケープデザイン科に入ったのですが、ある授業で「町を歩いて、町づくりにおける問題点を見つけてリデザインする」という課題がありました。そのフィールドワークで毎日40分ぐらい歩くことになり、その時にふと自分が気になったものを拾ってみようと思い立ったんです。1ヶ月ぐらい続けていると、拾ったものに金属のものが多いことに気がつきました。子供の頃から、鉄屑や錆びたもの、古いものが好きだったんです。ちょうど将来をどうしようかと考えていた最中で、彫金だったら自分で金属の加工ができるし楽しいかもと興味が湧きました。 --それで彫金の道に?新美:いえ、先生に相談すると、もう遅いよって言われてしまって(笑)。もっと早く言えば工芸科に転科できたけど、4年生のこんな時期に言われても無理だよって。その時、なぜか先生が「これやるよ」って、フラックスという溶接するための粉をくれたんです。卒業後、グラフィックデザイナーとして地元の愛知で就職したのですが、辞めて次どうしようかなと考えていた時、家に置いてあったフラックスが目に入って、私彫金をやりたかったんだと思い出しました。それで、ジュエリーの教室に通い始めました。 --ブランドとしてスタートしたのはどんなきっかけだったのですか?新美:その頃、名古屋で弟と一緒にスノーボードとサーフィンのお店をやっていたのですが、ある時に東京の友達から、合同展のブースを取ったから出店しない? と誘われて。それを機に名前を決めて、ラインナップを揃えて出したのが「LiniE(リニエ)」の前身となるブランドの始まりです。そこでいくつかのメーカーさんや洋服屋さんにOEM(※1)やってみない? と声をかけていただいて、オーダーをもらって作るということをやり始めました。シルバーを中心にレザーなどを取り入れたユニセックスなものが中心でしたね。8年程続けて安定はしていたのですが、手作りでやり続けることがすごく大変になってきたこと、また私も年齢を重ねてゴールドもやってみたいなと思うようになり、新しくブランドを立ち上げることにしました。 ※1:OEMメーカーが他企業の依頼を受けて製品を製造すること。  --「LiniE(リニエ)」の立ち上げにつながるのですね。OEMという形で求められたものを作るというところから、等身大の新美さんがほしいものを作ろうと。新美:そうですね。最初のブランドはもう少しアートっぽいというか、自分のクリエイションの表現がしたいという気持ちが強かったのですが、「LiniE(リニエ)」はつけ心地が良く、ずっと末長く使ってもらえるものを作りたかったんです。 --何かマインドが変わるきっかけがあったのですか?新美:ちょうど中目黒の大図実験(DYEZU-EXPERIMENT!)(※2)でアトリエをシェアしていた頃だったのですが、周りは個性の強いアーティストばかりの中、最初コンプレックスみたいなものを感じていました。前身のブランドではOEMをやっていたので、クライアントさんがいての仕事。私って自分の表現ができているのかな、なんて弱気になったりしたんです。でも、みんなと過ごすうちに、強いものばかりがいいわけではないし、ありのままの自分、自然体の自分を受け入れられるようになっていきました。むしろそれが私のスタイルだと。それですごくラクになって、「LiniE(リニエ)」の誕生につながっていきました。 ※2:大図実験(DYEZU-EXPERIMENT!)2001年、中目黒の目黒銀座商店街の一角に誕生したギャラリー兼作業スペース。2005年に建物が取り壊されクローズするまで、国内外の表現者が集い、日々アートが生み出された。 ー転機となった天然石との出合い --「LiniE(リニエ)」としては、これまでどのように変化してきましたか?新美:「LiniE(リニエ)」として7年目を迎えた2012年に、アメリカのアリゾナ州ツーソンで毎年行われている石の展示会で、インクルージョン(内包物)が入り混じった天然石と出合いました。それまで石というとダイヤやルビーのようなイメージしかなく、あまり興味がありませんでした。混じりものがなくて、より大きく、より輝いているものこそ価値が高いという宝飾の世界とは全く違って、長い年月をかけて自然が生み出した表情をありのまま生かすという石の世界を知って衝撃を受けました。一つ一つ違う個性を持つ石の美しさを目の当たりにして、これでジュエリーを作りたいと思ったんです。この出合いは、大きな転機になりました。 --今では「LiniE(リニエ)」のコレクションに石は欠かせない存在ですよね。 そうですね。当時はまだインクルージョンの石は日本で珍しくて、お客さんからは「何これ?樹脂?」なんて聞かれたりしていました。「LiniE(リニエ)」というブランド名はドイツ語でLINE(線)を意味するのですが、人と自然、人と人や、自分自身をコネクトする線になれたらいいなという思いを込めたんです。石を使ったデザインをするときは、石のエネルギーをより感じてほしいので、肌と石が近くなるように作っています。そうすると、身に着ける人の肌の色味が石の色に反映されたりするんです。天然石自体、他に同じものはないし、その人が身に纏うことでさらに唯一無二の存在になると思っています。 ー都会も自然もどちらも欠かせない存在 --宮崎と東京の二拠点生活をされているそうですが、今の暮らしについて聞かせてください。 新美:3.11の震災の後、当時住んでいた神奈川県の秋谷を出て実家のある名古屋に戻り、しばらくしてからは表参道にアトリエを借りて、名古屋と東京を行き来していました。でもある時、ポップアップのために訪れた宮崎の土地にすっかり魅了されました。父親が海好きだったので、子供の頃、お休みの日はヨットで島に行くとか、いつも自然の中で過ごしていたんです。その影響か、海の近くに住みたいという思いがずっとあって。その後、今の旦那さんと出会い、結婚して、宮崎へ引っ越しました。東京のアトリエは継続し、生活のベースは宮崎で、月に1週間ぐらいを東京で過ごすという形で行き来をしています。 --それぞれの拠点は、新美さんにとってそんな存在なのでしょう? 新美:どっちがオンオフというのはあまりないのですが、宮崎はサーフィンをするなど、自然の中にいて自分を整える場所。一方、東京はクリエーションの刺激を受け、発表する場と考えています。どちらも私には必要な場所です。--どんな環境が新美さんにとって心地良いと感じますか? 新美:私の場合、生活の中に海があるというのが大きくて、例えば、夕方、サーフィンで波待ちしている時に、夕陽と自分が一体になった感覚のような、そういう瞬間を得た時にものすごく心地良さを感じます。そういう意味でも、私の暮らしの中でサーフィンは欠かせない要素になっています。 --では最後に新美さんが選ぶ、心地良い「肌ざわり」のアイテムについて聞かせてください。 新美:「unefig. (ユンヌフィグ)」のシルクのパンツです。100%国産のシルクで作られていて、冬は温かく、夏は通気性がいい。シルクの原料である蚕の繭は、蚕の身を守るシェルターのようなものと聞きましたが、このパンツを身に纏っているとなんだか守られている感じがして、とても心地良いんです。 ■ 新美文栄さん...

# SOFTNESS

「肌ざわり」がわたしたちにもたらすもの File03 ー身に纏うもので心も癒されるーMOMO SUZUKIさん

「オーガニックコットンという素材のやわらかさで誰かの心を少しでもやわらかく、軽やかにしたい、もっと言えば、世界をもやわらかくしたい」と考える私たちが、さまざまなフィールドで活躍する人々にフォーカス。独自の感度を持つ人たちに日常や身の回りのこだわり、惹かれるものについてお話を聞きながら、肌ざわりと心の関係性を紐解きます。 今回は、ファッションブランド「BLACK CRANE(ブラック・クレーン)」のデザイナーMOMOさんにインタビュー。肌ざわりや素材へのこだわり、心地よい暮らしについて伺いました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると、私たちは考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかい」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ー自然の中で五感を育んだ子ども時代を経て、14歳でアメリカへ --MOMOさんは、どんな子ども時代を過ごされたのですか?アメリカに移住する14歳までは、東京都多摩市で育ちました。自然豊かな心地良い土地で、母と河原で蕗の薹を探したり、里山でキノコやタケノコを採ったり。採れた食材を台所で母が友人たちと賑やかに料理しながら、食す喜びを人とシェアしている姿がとても好きでした。他にも、柿の葉を拾いに行き、柿の葉寿司の色彩を意識しながら大皿に並べるなど、目と心で食す喜びや五感を通じて得る些細な体験が今の自分を形成していると思います。  --自然体験を通じて得た感覚が今のMOMOさんの物づくりにもつながっているのでしょうか。そうですね。両親の様々なジャンルの友人達からもインスピレーションを無意識に受けていたと思います。8歳の頃から母の画家の友人から絵を習っていたのですが、空気の流れを想像し描く抽象画、数分のクロッキーや静物画など、どれも内容がユニークでとても好きでした。先生は生徒が描き終えるまで何も口出しせず、自分で完成したと思ったら先生に見せに行き、絵を遠くに置いて一緒にしばらく眺めながら先生に問われるんです。「どう思う?」って。主観的に描いた後に客観的に作品を観て、自分で答えを見つける最後のステージはいつも緊張しましたが、それは私の今の物づくりにおいても欠かせないプロセスになっています。 --ロスに渡った後は、どんな道を歩まれたのですか?大学では環境アート、インテリアを学び、卒業後はインテリア事務所でしばらく働いていました。とても楽しかったのですが、自分にはスケール感が合っていない気がして悩んでいた事もあり、独自で作れるホームディコアとして皮をモールドした小物をガレージで制作し、日本やロスのインテリアショップで少量ですが販売していただいていました。モールドに使用する型を作るのに必要な木工旋盤がないので、仕事の後にコミュニティーカレッジの夜間クラスで授業の課題と全く関係のない木工型をひたすら木工旋盤で削っていました(笑)。 ―「BLACK CRANE」の誕生。いくつになっても纏いたいシーズンレスの作品を作りたい --その後、「BLACK CRANE」のデザイナーになったのは、どのようなきっかけだったのでしょう?アパレルブランドを経営している夫のアシスタントが日本に帰国し、ちょうどインテリア事務所を辞めた私が彼のアシスタントになったのがアパレルの職に就いたきっかけです。数年後、2009年に夫がレディースブランド「BLACK CRANE」を立ち上げ、自然な流れで私がデザイナーになりました。鶴が象徴する幸運、長寿、平和の意味をブランドに反映したくて「BLACK CRANE」と名付けました。 --「BLACK CRANE」の衣服には自然素材を使われていますが、どのような思いで素材を選んでいるのですか?素材選びに関しては、そのまま寝てしまっても着心地の良い、素肌で安心して着られるものでありながら、再生可能、生分解性があり、長持ちする天然素材を使用しています。環境負担が非常に大きいアパレル産業として自分たちに出来ることを今も模索中ですが、当初から生産における無駄を最小限に抑えるため、在庫を抱えない受注生産方式、1年に2シーズンの生産スタイルにしています。染料には、有害な化学物質や媒染剤を含まず、染色工程で使用する水量を大幅に削減した、低環境負担染料を使用しています。 また、15年以上の付き合いがある地元の製造パートナーの元で生産をしているのですが、互いの価値観を理解するために生産シーズン中は毎朝工場でミィーティングをしています。開発段階においては、無駄を抑えるために生地を最大限に使用するデザインと構成についても何度も工場と話し合います。流行り廃りで有効期限をつける商品ではなく、いくつになっても纏いたいシーズンレスの作品を作りたいと思っています。 ーオン・オフにメリハリをつけ、日々の小さな喜びや幸せを見つける --衣服は生活の道具として、機能的であり、ストレスフリーであるべきだと掲げていらっしゃいますね。肌ざわりへのこだわりについてはいかがですか?皮膚は第三の脳と呼ばれるほど、皮膚と脳は密接な関係にあるそうです。気持ちの良い肌ざわりは心地良さだけではなく、心も癒してくれます。ですから、身に纏うものは大切に選びたいですね。 --MOMOさんにとって心地良い肌ざわりのアイテムについて教えてください。15年以上大切にしているPerry Ellis(ペリー・エリス)のヴィンテージシルクシャツに勝るものはないです。滑らかで軽く、羽織っている事すら忘れてしまうほど。それと、90年代からオーガニックコットンを生産しているアメリカのニット生地を使用したBLACK CRANE ESSENTIAL COLLECTIONのアイテムです。顔を埋めたくなるほどやわらかく滑らかなストレスフリーの部屋着・寝間着でのんびりするのが幸せです。 --他にも、自分らしくいるために暮らしの中で心がけていることはありますか?展示会期間以外の生活では、プライベートも充実出来るようにオン・オフにメリハリをつけています。ストレスを感じにくい環境で効率良く仕事をし、その日の仕事が終われば営業時間内でもスタッフも皆帰ります。帰りには夫と地元のファーマーズマーケットで食材を買い、ゆっくり夕食の準備をし、食後は1時間ほど二人で近所を散歩します。歩きながら自然の繊細な移ろいを感じ、日々の小さな喜びや幸せを見つけ、その瞬間に感謝して1日を終えます。--最後に、MOMOさんにとって心地良い生活とは?時間に囚われず、自然と交感しながらゆっくり生活する事が自分らしく、心地良いです。週末の午前中は猫が庭で昼寝をしている傍で土いじりをしたり、自分たちが住むずっと前からこの地を長年守ってきてくれている大きなユーカリの木の下でお茶を啜ったり。午後は家中の窓を全開にしてお香を焚き、平日のお弁当用の副菜作り置きをしていることが多いですね。時折、サーフィンをする夫と一緒に海に行きますが、早朝4時に出発なので気が乗った時だけついて行きます。無理はせずに、自分自身との関係にバランスを保つことで自分らしくいられるのだと思います。 ■ MOMO SUZUKIさん/BLACK...

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「妹のために」から始まった人と地球に優しいものづくり ―環境活動家が手がけるオーガニックコスメー露木しいなさん

妹の肌荒れがきっかけとなり、高校生の時から肌にやさしいコスメ作りをはじめたという環境活動家の露木しいなさん。昨年には、人と地球に優しいオーガニックコスメブランド『SHIINA organic(シイナ・オーガニック)』を立ち上げ、日本初の国際基準コスモスオーガニック認証を取得したリップをリリースしました。原材料の調達から、使い終わった後まで、すべての工程に配慮されたリップには、環境活動家としての露木さんの想いが込められていました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ―幼少期の自然体験が「環境活動家」としての原点に 「環境活動家」としての私の原点は、幼少期の体験にあります。横浜の都会に生まれ育ったのですが、通っていた幼稚園は「トトロ幼稚舎」という野外活動が中心の園でした。日々自然の中に身を置くことで、私はとても自然が好きになりました。遊具のように決まった遊び方をするのではなく、自然の中で自由に遊びを創り出すことがとにかく楽しかったんです。(写真)幼少期を過ごしたトトロ幼稚舎。お鍋のふたをまな板にして料理中 大好きな自然が失われつつあると知ったのは、私が高校の3年間を過ごしたグリーンスクールに入ってからです。インドネシアのバリ島にあるグリーンスクールは、建物が全て竹でできていたり、電気は全て再生可能エネルギーが使われていたりと、 “世界一エコな学校”として知られるインターナショナルスクール。英語を学びたいと考えていた私に、母が見つけてくれた学校でした。調べてみるとおもしろそうな学校だと分かり、迷わずに進学を決めました。環境問題に強い関心があってグリーンスクールバリを選んだわけではありませんでしたが、ここで過ごす中で、地球上で今何が起きているのか、また環境問題というのは自分たちの暮らしと密に関わり合っているということを学びました。(写真)インドネシア・バリ島にあるグリーンスクールバリ。スクールの象徴でもある竹で建てられた校舎(写真)露木さんとクラスメートたち ―行動を起こすのに、大人になるまで待たなくてもいい 卒業後は帰国して日本の大学に入ったのですが「待ったなしの環境問題のことを早く周囲に伝えなくては!」という思いに駆られて休学。まずは知ってもらうことからと、全国の小学校から大学までを訪れ、気候変動など環境に関する講演を始めました。最初は自費で出向いていたこともあったのですが、ちょうど学校教育として、SDGsや環境問題を授業で取り上げるタイミングと重なったこともあり、環境について話してほしいという依頼をよくいただくようになりました。私が日本の若い世代に伝えたいのは「何か行動を起こすのに大人になるまで待たなくてもいい」ということ。私自身、グリーンスクールバリで同級生が環境問題へアクションを起こす姿に刺激を受けてきたこともあり、いつでも行動していいんだよということをこれからの社会を担っていく人たちに伝えたかったんです。その一心で全国を駆け巡り、気がつけば訪れた学校は220校以上にも及んでいました。 ー「SHIINA organic」は肌の弱い妹のためのコスメ作りから始まった 妹が市販の化粧品で肌荒れを起こしてしまったことがきっかけとなり、肌の弱い彼女が安心して使える化粧品を作りたいとグリーンスクールバリ在学中に研究を始めました。そのものづくりが派生していき、去年はクラウドファンディングを活用して100%自然由来のオーガニックリップの開発資金を集め、その後「オーガニック」「サスティナブル」「透明性」を追求したコスメブランド『SHIINA organic』をリリースしました。私の妹に限らず、リップを塗って唇が荒れてしまった経験がある人って結構多いと思うんです。自然派を謳う化粧品はたくさんありますが、自然由来の成分であれば誰でも使えるというわけではありません。むしろ自然界のものだからこそパワーが強すぎてしまうこともあります。特に唇は鼻に近いということもあって、匂いに敏感な人にとって香りはすごく気になるポイント。オーガニックの製品は石油由来の原材料が入っていないため酸化しやすいというデメリットがあり、その酸化特有の匂いを打ち消すために香料を使っていることもあるんです。だから『SHIINA organic』では、できる限り香りが強くない原材料を厳選しました。(写真)グリーンスクールバリ在学中にコスメ作りの研究を始めた(写真)露木さんが手がけるSHIINA organic また、オーガニック化粧品は発色が良くないというイメージを払拭したくて、色にもこだわりました。石油由来の成分を使えばどんな色味でも作ることができますが、100%自然由来ということは自然界に存在する色しか使えません。コスメ業界では、リップをリリースするなら最低でも10色のラインアップを出すのが一般的だと言われましたが、『SHIINA organic』では4色を出すことが精一杯。自然界に存在する色だけを採用して、どこまで使いたいと思ってもらえるような色を作り出せるか。これもものすごく試行錯誤した点です。 ーものづくりをする人の責務は、求められている以上のことをやること コスメって、使い切れないことを前提に買う人が多いですよね? だから使い切ることを前提としたサイズにしたかったんです。化粧品としては規格外の小さな容器になるのでロットが難しいのですが、工場の方々にも応援していただき今の形を実現することができました。また、容器は好きな色を詰め替えできるリフィル仕様にしました。商売として考えると、買い換える時は容器と中身を両方買っていただく方が採算は取りやすいのですが…。 そもそも、オーガニック化粧品って原価率がものすごく高いんです。私は「妹のために」というところからスタートしたこともあって原価率のことなどあまり考えていなかったのですが、実際に自分で作ってみて痛感しました。だから大きい会社はオーガニックコスメに手を出しにくいのだと思います。でも世の中には妹と同じように必要としている人がいる。だったら小さい規模でいいから私自身がやろうと思ったのです。そしてせっかくやるなら、みんながやらないことをやらないと意味がない。だからこそ、社会問題の解決につながるような製品にしたかったし、製造過程の透明性もすごく意識して、パッケージには、製品ができるまでの製造過程が見られる映像へのQRコードを印字しました。でも正直、私と消費者との思いにギャップがあるのでは、と感じることもあります。もしかすると消費者はそこまで詳細に原材料を知ることなど求めていないのかもしれない。だけど、求められている以上のことをやることが、ものづくりをする人の責務だとも思うんです。 ー目指すのは、環境活動家がいらない社会 私は自ら環境活動家になりたいと思ったことは一度もなくて、気がついたら活動家になっていたという感覚なんです。むしろ私が目指しているのは、環境活動家がいらない社会。今は講演活動にも区切りをつけて、次のステージについて考え始めました。ブランドとして商品を販売していますが、私がしたいことは“物を売ること”ではありません。ブランドとしてその先に何ができるのか、悩みの真っ只中にいます。そして、『SHIINA organic』としても私個人としても、まもなく訪れるであろう小さな転換期を楽しみにしているんです。 ■ 露木しいな / 環境活動家・SHIINA organic代表 2001年横浜生まれ、中華街育ち。「世界一エコな学校」と言われるインドネシアの「Green...

# ORGANIC# TRACEABILITY

中医学で考える月経との付き合い方 ー体質に沿った養生法と薬膳食材ー 藤井愛さん

自らの不調をきっかけに中医学と出合い、現在は中医薬膳営養師として活動する藤井愛さん。ワークショップや講座を通じて季節や体調に合わせた養生法を伝え、女性の心身を暮らしの中の身近なところからサポートしている藤井さんに、身体が変化しやすい30~40代をすこやかに過ごす秘訣を教えていただきました。月経の症状を4つのタイプに分けて考える、体質ごとの養生法とおすすめの薬膳食材もご紹介します。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ―中医学ってどんなもの? 中国の思想や哲学をもとに古代から発展してきた中医学を簡潔に説明することはとても難しいのですが、あえて一言で表すなら「バランスの医学」だと思います。例えば、私たちの身体は、五臓(肝・心・脾・肺・腎)と六腑(小腸・大腸・胃・胆・膀胱・三焦)が互いにバランスをとることで成り立っています。そして、そのバランスが良く働いている状態を“健康”と捉えます。ですが、そのバランスを取り続けることは簡単ではありません。イメージするなら、ロープの上をずっと綱渡りで歩いていくようなもの。健康な状態を保つには日々心身の声を聞き、ケアすることが必要です。汗をかいたら水分を補う必要があるように、今身体に何が足りていないのか、逆に何が足り過ぎているのか。そのバランスを考えて、補ったり、排出したりしながら身体を整えることが中医学の基本となります。 ―不調を持ち物にしない 30〜40代の女性と話をしていると、頭痛や不眠といった小さな不調を当たり前のように抱えている人がとても多いことに気がつきます。今はやり過ごすことができる不調でも、それが10年積み重なれば大きな病となってしまうことも。プチ不調は放置せずに、すぐにケアするようにしましょう。女性特有の悩みは、冷えと運動不足からきていることも多いです。日光を浴びること、しっかり体を動かすことを基本とし、漢方やお灸、食養生などのセルフケアも取り入れてみてください。面倒に感じることもありますが、どんどん試して自分に合うものを知ることが不調を手放す一番の近道になります。 ―あなたの月経はどのタイプ? 症状別月経タイプを知ろう 中医学では、女性は35歳を過ぎると、五臓の「腎」の機能が徐々に衰え始めると考えられています。中医学でいう「腎」とは、簡単に言うとエネルギーを蓄える場所。プレ更年期と言われる30代後半から40代前半は「腎」が弱ることでさまざまな不調を起こしやすく、身体の変化に悩む声を多く聞きます。月経時の不調もよくある相談のひとつです。中医学的には、「滞ることは、すなわち痛む」と言われ、生理痛は、「血」のめぐりが滞っている証拠(瘀血・オケツ)と考えられています。「血(けつ)」のめぐりが滞ると、痛みがでたり、経血にレバーのような塊が混じったり、子宮筋腫や子宮内膜症を引き起こす可能性がでてきます。そのほかにも身体の冷えや、体質的にパワーのないタイプ、ストレスタイプなど、さまざまなタイプに分類することができます。今回は、主に月経を4つのタイプに分けて紹介しました。どの症状が自分に当てはまるかをチェックして、体質ごとの養生法とおすすめの薬膳食材を暮らしに取り入れてみてください。自分の体質や状態を知ることで、月経の不調を取り除いていきましょう。 瘀血(おけつ)タイプ体内の血の巡りが悪い (症状)生理痛の痛みが強く、刺すような痛みがあり、出血量が多いです。レバー状の塊が経血に混じっていて、くすんだ赤黒い色。 (養生法)子宮筋腫や卵巣嚢腫になりやすいタイプなので、適度な運動を心がけ、血を巡らせる食べ物を取り入れると良い。 (おすすめ薬膳食材)玉ねぎ、らっきょう、酢、黒キクラゲ、秋刀魚、イワシ、ブルーベリー、納豆、甘酒、当帰 (写真)婦宝当帰膠:補血と言って女性にとって大切な血(けつ)を補う「当帰(とうき)」を中心に、元気を補い潤いを与えてくれる生薬が配合されたシロップタイプの漢方薬。生理中、その前後はもちろん、冷え性の人にもおすすめ。 陽虚(ようきょ)タイプ 身体全体や子宮がとにかく冷えている (症状)経血に塊が出ることもある。冷えると生理痛が悪化し、温めると楽になる。生理痛では締め付けられるような痛みがある。生理の周期は遅れやすく、日数は長め、顔色が青白い特徴。 (養生法)冷えることで血流が悪くなるので体を温めて血行を促すようにする。三陰交にお灸をするなどし、夏の暑い間でも冷房に当たり過ぎないようにし、腰回りを冷やさないような服装を心がける。 (おすすめ薬膳食材)生姜、シナモン、胡椒、にら、玉ねぎ、胡桃、えび、羊肉、龍眼肉 気血両虚(きけつりょうきょ)タイプ普段から疲れやすくパワーが足りない (症状)気や血が不足していたり、腎のパワーが落ちていたりすると、子宮に充分な栄養を送れなくて痛む。痛み自体はそれほどひどくはないが、身体が重だるく、疲れると生理痛が悪化します。経血は色が薄くて水っぽいことが多いです。生理後半や生理後に痛みを感じる事が多い。 (養生法)生理中は特に、無理をせず、過密スケジュールにならないように気をつける。疲れて夕食抜きで寝てしまうと益々悪化するため、手軽に食べられるお粥や、うどんなど消化のよいものを摂るなどする。 (おすすめ薬膳食材)生姜、はと麦、山芋、大豆、骨付き鶏肉、ブロッコリー、キャベツ、豆乳、枸杞、棗 (写真)柘榴de檸檬:女性ホルモンを整え、老化に関わる五臓の腎の働きをよくしてくれる柘榴。野草の酵素もたっぷり含まれていて、甘酸っぱさが身体を潤してくれます。 気滞(きたい)タイプ気の巡りが滞り、月経前からイライラや鬱症状になりやすい (症状)生理前からお腹や腰が張って痛み、緊張やストレスなど、環境の変化で自律神経が乱れると、気の巡りや血流が悪化し痛みが増す。生理前に頭痛や腹部など痛み出して、生理が始まると楽になる。 (養生法)生理前は特にストレスの影響を受けやすい時期なので、生理1週間前からは特にリラックスして過ごせるように意識しましょう。マッサージやエステ、鍼治療を生理前に受けるのもおすすめです。自分なりのストレス解消法で気を巡らせると良い。不規則な生活が原因の事も多いです。 (おすすめ薬膳食材)三つ葉、香菜、パセリ、春菊、セロリ、柚子、グレープフルーツ、ジャスミン、玫瑰花...

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「肌ざわり」がわたしたちにもたらすもの File02 ー日常に意識的に余白を持つことで心のバランスを整えるー 林真理子さん

「オーガニックコットンという素材のやわらかさで誰かの心を少しでもやわらかく、軽やかにしたい、もっと言えば、世界をもやわらかくしたい」と考える私たちが、さまざまなフィールドで活躍する人々にフォーカス。独自の感度を持つ人々に日常や身の回りのこだわり、惹かれるものについてお話を聞きながら、肌ざわりと心の関係性を紐解きます。今回は、ファッションブランド「jonnlynx(ジョンリンクス)」のデザイナー/ディレクターとして活躍する林真理子さんにインタビュー。ファッションが好きでスタートしたキャリア、「jonnlynx(ジョンリンクス)」のはじまり。現在のライフワークと仕事のバランス、心落ち着ける愛用品について伺いました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ー絵を描くのが好きだった子供時代陶芸などを経てファッションの業界へ --まずはじめに、林さんの子供時代について聞かせてください。林:子供の頃はとにかく絵を描くのが好きでした。新聞に入っている広告やカレンダーの裏面が真っ白なものを見つけてはそこに必ず絵を描く、そんな子供でした。仕事でデザイン画を描く感じとはまた違う感覚で、空想したり独り言を言いながら黙々と描いていましたね。最近は息子と一緒にお絵描きをして遊びますが、思いつきで手を動かすことが、今では私にとって一種のメディテーションのような役割にもなっている気がします。--どのような経緯でファッション業界へ入られたのですか?林:アートが好きだったので、18歳のときに東京の美術系の短大へ進みました。そこで絵を描きながらさまざまな芸術に触れているうちに、陶芸など立体物に興味が湧いてきて。卒業してからは陶芸教室のアシスタントをしていました。でも現実問題、それだけでは食べていけない。そんな時、ファッション業界に友達がたくさんいたこともあり、セレクトショップの仕事に応募したんです。 --そこからデザイナー業へ?林:そうなんです。服のデザイン経験もないのに、なぜか当時は強気に希望職種のところに「デザイナー」って書いて、社長から「デザインできるのか?」って聞かれた時も「できます」って(笑)。そこから誰に頼まれるでもなく、勝手に靴やベルトなど小物のデザイン画を描いて、社長に見せに行ったら「これ、作ってみろ」って言われて、最終的にはそこのオリジナルブランドのデザイナーをやっていました。当時はそういう無知ゆえの強さがあったんですよね。そこでデザイナーをやりつつ、途中からはPR業も兼任して、結局10年くらいお世話になりましたね。あの頃がなければ今はないです。 ー当時、一歩先を行くオンラインストアで『jonnlynx(ジョンリンクス)』を始動 --その後、『jonnlynx』を立ち上げられたんですね?林:そう、2008年ですね。セレクトショップ時代から長年一緒に仕事をしてきた、コレクションブランドで働いた経験もある友人と「自分たちで何かやりたいね」ってことで始めました。 セレクトショップで働いていた頃、雑誌に掲載してもらうことで受ける影響とか、そこに翻弄されることが嫌になってしまって。自分のスタイルや感性をブログで見て共感してくれる人たちがいることを実感していたし、もっと自分たちの世界観を直接共有できるひとたちに向けてやっていけばいいんじゃないかって思ったんです。当時はまだ、服は実店舗で買うのが当たり前だったんですけど、私自身海外のオンラインショップで買い物をしていたこともあり、どこか自信があったんですよね。それで、今ほど主流ではなかったオンライン販売でスタートしました。 「jonnlynx」って、実はPR機能を持っていないんですよ。友人のスタイリストや編集の人からリクエストがあった時は貸し出したりしつつも、根本的には自分たちが直接発信するものを理解して選んでくれる人たちに直接届けたいというのが今もあります。--今まさに、時代がそういうムードですよね。 林:そうですね。でも、元々はそうしてやってきたブランドだったのに、しばらくしてブログをお休みしてしまったんです。でもこれでは自分の世界観を閉ざしてしまっているなと思って、パンデミックの時にインスタをやらないとって気づいて始めました。そこで改めて、自分たちの表現するものに共感してもらえる人たちの大切さに気づかされました。そんな感じで「jonnlynx」は今年、16年目に突入します。 ー子育て、多忙な時期、コロナを経てライフワークと仕事のバランスを見直す --価値観や環境はどのように変化していきましたか?  林:パンデミック前に息子を出産したんですが、その直後は自分史上一番、仕事が忙しい時期で。出産前後でも特に休みを取らなかったのもありますが、それにしても本当に忙しかった。自分のブランドと同時進行で他企業のブランドディレクションも担当していて、今振り返ると当時はアイデアを出すために頭がパンク状態でした。一つ一つに全力を注ぐことができていなかったし、イライラしていることも多かったなって思います。その後にコロナの影響で仕事が少しずつ減り、やっと落ち着きを取り戻していったという感じです。--忙しい時期を経て、どのようなリズムが林さんにとって心地良いと思いますか? 林:もともと私自身、予定を詰め込むのが苦手なタイプなんです。だから、展示会とかの繁忙期以外はできるだけ予定を入れない日を多くするようにしています。何もない日を増やして、日常に意識的に余白を作ることで自分の中でバランスを保てるんですよね。ライフワークである子育てやデザインにも没頭できるし。服をつくることも子育ても同じクリエイティブ軸の上にあるように感じていて。私の場合、サーフィンやスノボーの時間は予定として捉えていなくて、そういう好きな時間を自由に持つことが心地良いんだと思います。それが結果的に仕事である服作りにも影響しています。 --好きなものやインスピレーションを受けるものに変化はありましたか? 林:好きなものはあまり変わってないですね。ただ細いヒールだけは履かなくなったかな(笑)。無理せず、自分の気分が良くなるものを選ぶことの方が重要になってきている感じがします。 昔はよく海外の雑誌や写真集を見ながらデザインをしていましたが、今はそういったインプットをせずに感覚的につくることが多いように思います。海や山、自然の中で過ごす時間を持っているので、自分の気持ち良い感覚とそうではない感覚が鋭くなってきていると思うんですよね。逆に情報に触れすぎると頭がパンクしてしまって、デザインできなくなっちゃう。だからそこは距離を取りながら、常にフラットでいたいと思っています。 ー日々に寄り添うウール、カシミヤ、コットンの天然素材アイテムたち --そんな林さんが選ぶ、心地よい「肌ざわり」のアイテムについて聞かせてください。 林:1つ目は、「jonnlynx」で10年以上作っているウールのインナー。ウールは動物の毛なので、汗を吸収してくれるし、速乾性にも優れているんです。ウール=温かいという印象が強いと思うんですけど、消臭効果も高いんですよね。だから、冬だけでなく夏こそ着ると快適なことを提唱したくてインナーを出しているんですが、これが本当に好評で。決して買いやすい金額ではないのですが、リピートしてくださる方が多く私は破けても、お直しを重ねて10年以上着続けています。軽くてとにかく気持ちがいいので、パジャマもこれ。これまでいろいろなものを試してきたけど、寝る時は薄手のウールが一番。手持ちの服の中で最も手放せないアイテムです。あとはロサンゼルスのブランド「The Elder Statesman(ジ・エルダー・ステイツマン)」のソックス。友人から誕生日プレゼントにもらったのがきっかけなんですが、カシミヤがとても柔らかくて、暖かい。肌ざわりもとても優しくて気に入っています。これも穴が空いても補修しながら何年も履き続けています。あと、ショーツはコットンが好きです。ブラは胸が目立たないようなデザインを重視してフィット感を求めてしてしまうのですが、ショーツはソフトで苦しくないもの、さらに蒸れないものが良いので綿を選ぶようにしています。--お子さんが着るものについても聞かせてください。 林:「jonnlynx」のキッズラインでもウールのインナーを出していて。息子にもそれをインナーとパジャマにして着せています。子供はラグランスリーブで作っているので、成長しても袖丈が短くなるだけで長く着られるように作っているんです。子どもってすごく敏感で、チクチクにうるさいんですよね(笑)。そんな子どもでも、うちのウールは気に入って着てくれています。キッズの服も妥協せずに大人と同じ素材を使うようにしています。 ■ 林真理子さん/jonnlynx(ジョンリンクス)デザイナー、ディレクター セレクトショップでデザイナー、プレスを兼任。2008年に自身のブランド『jonnlynx(ジョンリンクス)』を始動。サーフィンとスノーボードを嗜み、自然の中で過ごすことが趣味。 HP:jonnlynx公式サイト/オンラインストアinstagram:@jonnlynx     ...

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